第一章 さくら

 ヤツは私の唯一の親友だった。小さい頃から二人で歌って遊んだ。楽器を弾けない私と歌が歌えないヤツは最強のバンドだったのかも知れない。ただ、それも遠い日の思い出として消えようとしているのだけれど。
「なあ、さくらぁ〜」
「何よ、ひろむ」
 公園のベンチで小さいガキ共に睨まれながら、ひろむは私を見つめた。手には愛用のギターが握られている。一体何処で覚えたのか、ひろむは小さい頃からギターやピアノといった音の出るものなら何だって弾けた。
 私は楽器なんて全く弾けない。リコーダーは愚か、ピアニカさえマトモに弾けない。私に出来るのはカスタネットを叩くくらいで、全く何も弾けない。そのかわり私には歌があった。歌ならいくらでも歌える。学校の歌のテストだけは良かったし、オタマジャクシの音譜が読めなくても、CDさえあれば私は無敵だった。
 小さい時、ひろむと約束したっけ? 二人でバンド組んで、いつか必ずプロバンドになろうって。その約束は果たされないまま、今に至っている。
「歌わねぇの?」
「え?」
「歌手、なろうって約束」
「そんなの時効」
 ひろむはベンチにちゃんと腰掛けるとギターを爪弾いた。優しいひろむの伴奏はいつだって私だけの物だった。そう、いつだって。今は違うけど……。
「歌って」
それだけ言ってひろむはまた強く弦を弾いた。辺りに響くギターの音色に、小さいガキ共が一斉にこっちを見た。それでもひろむはギターを引き続ける。私は仕方が無いから立ち上がって息を吸った。
 歌は決して私を裏切ったりしない。練習すれば上達するし、集中すればいくらでも高い音は出る。それに何より、ひろむが伴奏だって分かってるから安心して歌えるの。何も怖くなんか無い。ひろむが居るからと、私は声を張り上げた。

 ひろむが最後の音を弾ききると、辺りから拍手が起こった。ド田舎でおばさんと子供しかいないこの公園で歌を聴いてくれる人なんか滅多に居ないから。それでもやっぱりガキ共の拍手だって分かってても嬉しかった。ひろむは笑って私に抱きついた。ギターが私にがつんとぶつかったけれどなれているから何とも思わなかった。
「やっぱりさくらじゃないと〜」
 そう言って無邪気に笑う、そんなひろむを見ているのがつらかった。そう、どうせこれからまた彼女と仲良くデートに出掛けるんだろうから。私だけの専属ギタリストも今じゃ、着飾った女の子とデートする方が楽しいみたい。私はそんなひろむに背中を向けた。もう、私だけのギタリストじゃないんだからと言い聞かせて……。
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第二章 ひろむ


彼女が迎えにきていた。すぐ其処で手を振って、俺にそっと微笑んだ、そんな彼女に手を振って、俺はさくらに言った。
「それじゃあ、これからデートだからまた後で」
また戻ってくるつもりだった。さくらはいつだって此処で歌っている。歌だけが自分の全てだって言うように、声を張り上げて歌っている。ガキ共かおばさんしか見てないけど、それでもさくらは歌をやめない。
さくらは俺の唯一の友達だ。大事な大事な親友だから、どんな事があったって、必ず此処に戻って来て、一緒にギターを弾く。どんな事があったって会わない日が無いくらい、いつだってさくらと一緒に居たから、居なかったら調子が狂うってのもあるんだけど。
彼女、名前はめぐみって言うんだけど、俺はめぐって呼んでる。俺にはさくら以外の友達がはっきり言っていない。話し掛けてもらって嬉しかったけど、告白された時にはどうして良いか分からなくなった。つい、俺もとか言っちゃって、一緒にいるけど、小さい時からずっと、俺はさくらが好きだった。まあ、さくらには嫌われてる気もしたし、あきらめたんだけど。
めぐは俺に言った。
「ねぇ、どうしていつもあの子と居るの?」
「さくらの事? 親友だから♪」
めぐは少し悲しそうだった。怒ってるのかもしれない。でも、俺には楽譜とギター以外の事が良く分からないからなぁ。人の顔色を伺うのが苦手なんだよ。さくらは分かりやすいから努力しなくても分かるんだけど。
大事なギターを抱えて、俺はめぐをじっと見つめていた。
「ギターと私、どっちが大切なの?」
この場合、めぐって言わなくちゃ、俺って駄目なヤツだよなぁ? やっぱり、命よりも大事なギターの訪が大事なんですけど、と思いつつ、俺は
「めぐ」
っと言った。嘘は苦手なのになぁと思いつつ、めぐの目を見つめた。
 ああ〜兄ちゃん、新曲作るって気合い入れてたけど大丈夫かな? とどうだって良い事を考えてしまう自分がどれだけギター馬鹿なのか、ちゃんと分かってる。誰も俺の話にはついて来られないって事は分かってるつもり。少なくとも、さくらはついてくいるけど。
「それなら、彼女と歌うのやめて」
めぐは真剣な顔で俺にそう言った。怒ってる。どう見たって怒ってる。新曲の心配、してる場合なんかじゃない。
「え?」
「彼女が好きなら好きって言ってよ。私よりもギターが好きならはっきりしてよ」
めぐはそれだけ言って駆け出した。俺はギターを抱きかかえるとその後ろ追いかけた。
「めぐ〜!」
 俺がギターしか能のない運動音痴と知っての嫌がらせか、めぐは止まってくれなかった。俺は仕方がないから立ちどまった。重いギターを下ろして、切れた息を整えようとしたけど駄目だった。早くもダウンしそうになってる自分がはっきり言ってもどかしい。
次に顔をあげて道の先を見た時、もうめぐの姿は何処にも無かった。



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第三章 さくら

 私が帰ろうと立ち上がって風に揺れる鬱陶しい髪を振り払うと、彼奴が立っていた。ひろむは少しつらそうに息も上がり切っていて、私の顔を見ると、ほっとしたような様子で近づいてきた。
「何かあったの?」
「さくらぁ」
 情けないひろむの声が聞こえて、私は大切そうに握り締めたギターをそっと、ひろむから預かった。体力の無いひろむが珍しく走ったのか、息は今も治まりそうな気配も見せない。
 私はひろむをベンチに座らせて、ギターをその隣りに立てかけた。小さいときからひろむの相棒であるそのギターは命よりも大事な宝物らしい。傷なんか無い新品同様だったけど、箱は既にボロボロ。歌手になったら初給料で買い替えるのが夢になったらしい。私はそんなひろむにギターを教わった事もあったけど、全く弾けないままだ。
「何があったの? デートは?」
「逃げられた」
「あっそ、どうせまたギタ?馬鹿だからフラれたんじゃないの?」
 ひろむは少し怒った顔で私の顔を見つめた。ひろむが何かと友達とか、女の子とかに話し掛けられてギター馬鹿のせいで嫌われる処、私は何度も見たから今更何とも思わなかった。フラれたって仕方がない。ギブソンのギターについて二時間も語る人だから。
「フラれてねぇもん、まだ嫌いとは言われてねぇ」
「一緒でしょ、逃げられたんだから」
「いいよな〜、さくらは歌姫だから」
 小さいときの懐かしいニックネーム。小学校入って間もない頃、私は学校で歌姫と呼ばれた。小学校の音楽室で勝手にピアノ弾いて遊んでたあの頃は、私もひろむも友達が沢山出来た。あの頃のニックネームは「歌姫とギター馬鹿」だったけ? 先生につけられたあだ名だったんだけど……。
「そんなにギターについて熱く語らなかったら、今はやりの王子ってニックネームつけてもらえると思うけど」
「何それ? 俺ってギター王子?」
「今もギター馬鹿でしか無いけどね」
 ひろむは力なく笑った。元気が無い。仕方がないから、私はひろむのギターケースを開けてギターを持たせた。
「ほら、しっかりして。アンタにはギターしかないんだから」
「うう……。いいよな、さくらは」
そう言ったひろむは少しだけ泣いていた。私にはひろむが本気で彼女の事を好きになったとは思えなかった。いつだってギターの事が第一。ひろむのお兄ちゃんに作ってもらう曲の事と私とひろむのバンドの事しか頭に無い。それなのに、どうして泣くのかが分からなかった。
「ひろむ、泣くな」
ひろむは黙ってギターを抱きしめるとわんわん泣き出した。昔から泣き虫だったけど、今もこんなに泣き虫だったっけ? と気になった。それより、私はひろむの
泣き虫には飽き飽きしていた。ギター馬鹿にはついて行けるけど、私は泣かれたってどうにも出来ないから。
「もういい、其処で一人で泣いてたら?」
 私はそれだけ言ってひろむに背中を向けた。ひろむはこの調子で当分涙に暮れる。此処に居たって歌の練習なんか出来ないから帰った方が良い。そう判断して、私は背中を向けた。

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第四章 ひろむ


翌日、俺はいつもと同じように楽譜を抱えて学校に行った。さくらとめぐはもう許してくれたかな? と気になってた。さくらにだけは嫌われたくなかった。バンドが出来ないなんてつらくてつらくて死んじまうから。ギターの次に大事なバンドが無くなるなんて嫌だった。だからさくらの顔を見たらすぐに謝るつもりだった。
教室の窓際の席に一人ぽつんと座って何かを読んでるさくらが居た。さくらは本なんか全く読まないし、俺は何をしてるのかが気になった。
いつもと同じようにさくらの後ろの席に荷物を置くと、楽譜を眺めてるさくらに
「おはよう」
と言った。その後すぐにゴメンというつもりだったんだけど、さくらはすっと立ち上がると何処かへ行ってしまった。俺には何も言わず、顔も見ないままだった。俺はそれが少しショックだった。
さくらの席の前で立ち尽くしてると、めぐが俺の肩を叩いた。俺は元気良くおはようと言って、昨日はゴメンとまた続けようとしたんだけど、めぐはただ一言
「別れよう」
と言った。俺はどうして良いか分からなくなって、黙ってしまった。めぐはじっと俺の顔を見つめている。
「歌姫と仲良くね」
めぐはそれだけ言って、さっさと俺の前から消えた。さくらもめぐも俺の前から消えた。このまま、どうしたらいいんだよ。そういう言葉が浮かんで消えた。

その日、音楽の授業があった。授業はちょうど作曲で、俺とさくらは二人で曲を作っている処だった。さくらは無言で詩を書いた。俺はそんなさくらに何度話し掛けても完全無視された。かなり悲しかったけど、そのうちまた話し掛けてくれるよなと信じて、俺は作曲を続けた。
俺は作曲は得意じゃない。いつもオリジナルの曲を二人で練習してたけど、それは全部兄ちゃん(俺のだけど)が作ってくれた物だった。兄ちゃんの趣味になってる作曲のおかげで、俺はバンドを楽しくやってた。きっと作曲してたら凄まじい事になってただろうなぁ。
発表する時も俺はギター、さくらはボーカルって決めてたからはっきり言って練習しないとマズい。カセットレコーダーを前にして、音痴な俺はどうしようかと迷っていた。好きなように作曲しても良いと許可をもらったから、兄ちゃん方式でやる事にしたからカセットレコーダーを持ってきてる。
ちなみに脇には学校にあったアコギを抱えている。さっきから適当にぽろぽろと弾いてはいるけど、さくらは完全に無視。どうやって作曲しろって言うんだよってなってる俺は、思いつくがままにオタマジャクシを並べていった。

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第五章 さくら

私は通学路の途中にある公園の前で立ち止った。いつもだったらひろむと一緒に帰ってきて、此処に立ち寄る。そしてしばらく新曲とか、好きな歌手がどうしたこうしたとか話してから一旦帰って服を着替えてまた此処に来る。その時にはいつだってひろむはギターを抱えている。ギターを持ってなかった日は無いくらい、いつもの事だった。
でも今日は私も一人。プライドが高くて友達が出来ないって事くらい分かってる。いつだってそう、本当はそんな事言いたくないのにプライドが邪魔する。歌は私の代わりにその想いを伝えてくれる。決して私を裏切ったりしない。練習すれば上達するし、想いを込めて歌えばちゃんと伝わる。でも今日は隣りでギターをかき鳴らすうるさいギター馬鹿は居ない。今頃何処かで失恋の曲でも弾いてるのかな?
そう思うと、彼奴に言った言葉が酷かったような気がしてきた。ヤツにしたらかなり大きな悩みだったのに、私、あんな事言っちゃったと。今更どうにも出来ない想いが溢れてくる。
こんな処で立ち止ってても仕方がない。私はそう言い聞かせて家に向かって歩き始めた。そう、どんなに後悔したってヤツは戻って来ないから。

家に戻ると、机の上に練習すると付箋の張ってある楽譜が乗っていた。昨日練習しようと決めてたんだっけ? とカセットテープを見つめた。ひろむのお兄ちゃんがいつも作曲してくれる曲はいつだっていい曲だった。私もいつか、そのお兄ちゃんの曲を歌いこなせるようになりたいと思って今まで練習してきた。ひろむと二人で歌ってた、私が「歌姫」でひろむが「ギター馬鹿」だったあの頃が懐かしかった。
楽譜を何となく覗き込み、カセットデッキにカセットを突っ込んだ。聞き慣れたお兄ちゃんの声が聞こえた。決して上手くはないけれど、「作曲」に関しては天才的才能を持ってる。ひろむの家系って音楽家の血が流れてるんじゃないのかな?
そんな事を考えながら、もうこの楽譜を練習する必要が無いと言う事に気がついた。もう私はひろむの「歌姫」じゃない。ひろむも私の「ギター馬鹿」でもない。楽譜は大切にファイルにとじて片付けたけれど、部屋の中にお兄ちゃんの声だけが虚しく響いていた。

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第六章 ひろむ


俺は何度かさくらの携帯にメールした。どの内容も同じ、ゴメンばっかりだったけどさくらからの返事は一通も無かった。
ギターを抱いて、さくらからの返事を待つ事しか出来ない。さくらと一緒じゃないとギターを弾く気になれない。仕方がないから、部屋の隅で物置化しているピアノの上を片付けて、鍵盤に指をそっと乗せた。
鍵盤、叩けば良いのかとは思うけど、叩く事は出来ない。さくらの声、聞こえなちゃちゃんと弾けないんだから。俺は黙って耳をすませた。携帯はまだまだなりそうも無い。なる気配も全くなかった。
「何やってるんだよ?」
兄ちゃんの声が聞こえる。
「なんだよ」
「弾かねぇのか?」
「弾く気になれない」
そう言って、俺はピアノに向き直った。
 でも叩く気には全くなれなかった。簡単だ。いつもと同じように楽しくピアノを弾けば良いだけなのに……。
「今日は公園に行かねぇのか? さくらは来てねぇのか?」
「嫌われた」
俺がそう言って、楽譜の束を見つめた。ただ、鍵盤叩けば良いだけなのに、いつも何も考えなくたってピアノくらい弾けるのに……。
「何したんだよ?」
「分かんねぇ」
「謝ったか?」
「口聞いてくれない」
兄ちゃんは俺の隣りに腰掛けた。俺は鍵盤から手をどけた。
「家に行ってきて、謝って来いよ」
「行ったって、さくらは会ってくれないよ」
兄ちゃんはそっと俺の肩を叩くと
「ケータイ、鳴ると良いな」
と言い残して部屋を出て行った。
 俺はなぜか、兄ちゃんのその言葉が苦しくて、いつの間にか泣いていた。鍵盤が滲んで、白も黒もごちゃごちゃになって、俺はいつの間にか声をあげて泣いていた。何が悲しいのかさえ分からなくなるまで、俺はただ泣いた。
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第七章 さくら

私はケータイがまた鳴っている事に気がついた。ぼうっとしながら空を見上げて、プライドが捨てられたら良いのにと思いながら泣きたくなっていた。
ひろむと私が好きだった、バンドの着メロが流れ続けている。ケータイを手にとると、差出人がひろむになってるメールが二十通も来ている事に初めて気がついた。
そのうちの一つを開くと、ゴメンとたった一言だけ書いてあった。私はそんなメールを見つめてから、なんとか知恵を振り絞った。
私も謝りたかった。でも、そんな事が出来るような事、私のプライドが許してくれない。こんな邪魔なプライドなんて、波に揉まれて消えてしまえば良いのにと、何度思っただろう。
それから私は少し考えた。そうだ、私には歌がある。歌う事は出来る。そうだ、言葉にできなくても歌う事はできる。歌詞を書く事だって、なんとか出来るんだから。
そう考えて、私は早速、その辺にあったノートを広げて、今の気持ちをノートにまき散らした。謝りたい、ただそれだけしか頭に無かった。
楽譜は書けないけど、歌えば良い。楽譜を書き上げるとカセットレコーダーのマイクに向かって歌った。声が出ない。それでも、なんとか歌いたかった。
その後、カセットを流して、ケータイの録音機能に録音してから、メールでひろむに送った。件名も内容も真っ白だったけど、私に出来ることはこれだけだったから。そんな自分がもどかしかったけど、黙ってケータイを握りしめた。
着メロが鳴ってくれる事をただひたすら祈りながら、私は空を仰いだ。
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第八章 ひろむ


俺は黙って床に座り込んでいた。何も聞こえない。着メロが鳴ってくれる事を楽しみに待ってたんだけど、結局一回も鳴らなかった。
部屋の中はしんと静まり返ったまま、カーテンがゆらゆらと風に揺れているだけで、何も聞こえなかった。誰かが何かを言ってるのも聞こえてはいるけど、心にまでは届かなかった。
とうとう完全にさくらから見捨てられたんだなと、俺はあきらめて隣りの兄ちゃんの部屋に向かった。兄ちゃんの部屋から聞こえてくる柔らかいギターの音色が、少しだけ心に滲みた。苦しい、悲しい、涙がまた溢れ出した。ひんやりと冷たいドアノブに掛けた手が少しだけ震えているのを感じた。
俺は兄ちゃんの部屋の前で立ち止ったまま、泣いていた。姉ちゃんが俺の顔を見て立ち止ったのを感じたけど、今更涙を止められない。
姉ちゃんが立ち止って、じっと俺の顔を見つめているのを感じたけど、涙を拭って俯いてるだけで、ドアノブに手を掛けたまま、全く動けなかった。早く涙を止めないととは思うんだけど、どうしても涙は止まってくれない。
「ひろむ、何かあったの?」
「なんでもない」
それだけなんとか言うと、きびすを返して部屋に逃げ帰った。ドアの外で響いてる、兄ちゃんのギターの音色だけが何となく響いていた。
そんな時だった。お気に入りの曲がケータイから鳴り始めたのは……。
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第九章 さくら

私はじっとしている事が出来なかった。どうしてなのか分からなかったけれど、部屋に居るのが急に嫌になって、いつもの公園に向かって駆け出していた。
公園にはもちろんひろむの姿はない。それでも、私はいつものベンチに腰掛けて歌った。不思議とギターの音色が流れてくる。優しく微笑んでギターを爪弾くひろむは何処にも居ない筈だったのに……。
そう、声を張り上げて空を仰いで、いつものクセで隣りのひろむの顔を見ようとする。その時だった、優しいひろむの顔を見つけたのは。
歌っている事を忘れてしまった。此処には誰も居なかった筈なのに、どうしてひろむはこんな処でギターを爪弾いてるの? 私がどれだけ酷い事を言ったか分かってる?
「なんだよ、さくら。歌えよ」
 見慣れた膨れっ面が私を見つめた。私はそんなひろむの顔を見つめて、笑った。
「何やってんのよ、こんな処で」
 そんな事が言いたい訳じゃないの、私が言いたい事はそんな事じゃないの。いくら伝えたくたって伝わらない。
「ギター弾いてんの」
そう言って、笑ったひろむの笑顔が嬉しかった。
「馬鹿じゃないの、彼女に謝ってきたらどうなの?」
「ギター馬鹿だよ、俺はね。彼女には俺なんかじゃ駄目だし、謝らない事にした♪」
ひろむは微笑むと、ギターを脇に置いた。私はそんなひろむの顔を見つめて、笑った。これぞギター馬鹿って顔のひろむが居ないと、やっぱり私は私らしく歌えないんだって事に初めて気がついた。

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第十章 ひろむ

さくらはいつもと同じように空を仰いだ。兄ちゃんからもらったばっかりの新曲の楽譜を地面に広げて、俺は早速ギターを爪弾き始めた。さくらはにこっと笑うと、楽譜を覗き込んで、大きく深呼吸をした。公園には珍しくガキ共が居なかった。
風が優しく吹き始めたのを見て、さくらがその辺に落っこちてる石ころを楽譜にのせた。さくらは立ち上がり、目を閉じた。いつもと同じ、でも懐かしい感覚が嬉しかった。
不思議とギターをかき鳴らす手も軽く、音がいつもより弾んで聞こえた。楽しい、ギターを弾いててそう思ったの、何年ぶりだっただろう。
さくらが笑いながら振り返るのをちらっと見てから、ギターを弾き切ると、ゆっくりと顔をあげた。さくらが俺をじっと見つめている。それを見て、俺も笑った。
楽譜、見ててくれたんだと思うと嬉しかった。ケンカしちまったし、カセットも楽譜も捨てたんじゃないかと思ってたんだけど……。
さくらは微笑んで、俺の隣りに腰掛けた。ニコニコしながら、優しく笑った。俺はそんなさくらを見ながら黙っていた。抱えたギターをそっと撫でて、空を仰いだ。空はいつもと同じように優しく晴れて、陽が差していた。

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